大津島ハイク、人間魚雷を悼む

総勢13名、電車と船により、徳山大津島へわたる。
最初人間魚雷訓練基地へ向かう。相当前にきたときより美しく修復されているようであった。
アジ子を釣る人が2名いた。魚師はここでは釣らないと聞いた。嫌な思いか、痛ましい重いがあるのであろう。
 次に回転天(人間魚雷)記念館入り口から鬣山へ登る。私と西村さんは記念館で待つことにした。
いる愚痴に140数名の銘(県と名前)のはいった石碑が道の両側に配列してある。入り口から戦死した順番であると館のご婦人が教えてくれた。北は北海道から沖縄県まで日本全国からの若人であった。
潜水艦の上に載せ出動し、敵艦船めがけて突入したのであろう。なんとも痛ましくも悲しい戦いであったものである。説明書を読んでも、回天の模型の説明にも、華々しい戦果は記載されてない!とすれば、無駄死になったのではとの疑問も湧く。
 しかし、当時私とて、命をささげる覚悟はしていた年代で、もう1,2年も続いていれば、戦死していたかもしれない。誰もが一生懸命国を守る気概を持っていたのであるから、無駄死になどと申しては、戦死した人に申し訳ない。心から、お礼と、冥福を祈らずにはおられなかった。

 皆さん、さらにもう一つ山に。往復3時間はかかった。
私と岡田さんは、埠頭でアジ子釣り、20数匹は釣れた。私は昼食後途中からつらせてもらい数匹を釣った。帰りに4匹頂き、刺身に引いて食べたが、新鮮で、甘かった。
この日だけは、お天気がよく穏やかであった。


後日談:私は2kmくらい歩いたであろうか?翌日から今日2月1日まで右足下肢の前頭筋がもっとも委痛く、左股関節部筋肉、腰部がそれについで痛かった。やはり筋肉の衰えは恐ろしい。