広島自衛隊と大和ミュージアム

k44132005-10-16

地主さんの案内で、西村さん、小浜さん、私と5人で、広島市海田市の第13旅団創立7周年記念式典に出向いた。閲兵式のあとの、模擬戦闘訓練が60年も前の第一次大戦当時と比較して各段に近代化された装備であることを認識した。射程1500mの敵戦車部隊攻撃の105mm砲の目の前でのドンという発射音、前にいた子供が直立のまま、5cm飛び上がった!しかし、砲身7〜8mの砲はびりっつとも動かなかった。昔の砲は前後にかなり反動で動くものだと認識していたが、技術の進歩を見た。ゲリラ掃討作戦にヘリコプターからの綱を伝って降下作戦。高度300mまで遊泳降下し、パラシュートを開いての降下。戦車の発射音、滞空パトリオットの走行!とやはり男の闘争心を掻き立てる響きを感じた。国防、非常災害に心強い戦力である。
 呉市大和ミュージアム、不沈戦艦といわれた大和が敢え無い最後を遂げたのは、横からの魚雷攻撃に対しての自信であって、上からの(甲板)攻撃にはからきし弱かったのである。世界最大の46cm砲も対戦艦、地上への攻撃は有利なるも、米国の航空機戦略に遅れをとった日本の読み誤りが終戦を早めた一因であると思った。PM2時半ユメタウンで広島名産牡蠣フライ定食の昼食が暖かくおいしかった!今日は60年ぶりの軍事デイであった。

仮釈放祝い

3連休で先生が休むのが本音だろうが、8,9日ゆっくりお家へ帰ったらということになり、安井さん2日間仮釈放!入院後20日も経過して、シャバの風にもあたりたいだろうと、マントさん、下野さんと4人で、川棚のコスモス鑑賞ドライブとなった。
9時過ぎ宇部を出発、菊川経由川棚へ。コスモスを見て瓦蕎麦を食べようと思ったが、お昼はお客が多いいだろうと言うことで、少し早いがコスモス鑑賞の前に食べることにした。安井さん、下野さん二人は瓦蕎麦は初めてと言う。一度は食べてみる価値もあろうと数人の行列ならぬベンチ待ちで割合早く案内された。相変わらず繁盛している。二人とも、結構満足されたようだ。
蕎麦を食べ、いざ、コスモス祭りへと、パーキングの出口からコスモス畑への道路は、車の行列待ちである。これは大変とあきらめた。191号線を北浦方面へと走り出す。あと50kmしかガソリンがない。特牛でスタンドは?と土地の人に聞くと、今日は休みだから長門まで行かなければないだろうと言う。25kmくらいだからなんとか行けるだろうと出発、30mも行った左手に小さなスタンドの事務所扉が開いていた。営業してるかも?と覗くと、開いていた。大安心!
9月に行った千畳敷キャンプ場を回った。途中のコスモスが綺麗だった。(写真参照)
16時前にはそれぞれ家に送り届けた。また、あと1ケ月はシャバと隔絶されるのかと思うと、お気の毒だ。早く全快されんことを祈る。

赤梨食べ放題!


昨夜、onkoさんから豊北町の赤梨食べ放題に行かないかと誘われ、午後なら空いてると言ったら、わざわざ時間をずらして貰い、西村さん、下野さんと4人で特牛に近い中原農園を訪れた。12時過ぎであった。お腹は、十分空けてある!2籠8個が出されたが、1個を残し、7個は4人のお腹に。
瑞々しく美味しかった。12日福岡整形病院へ行くので、孫のお土産にと2袋買った。帰りには規格外品1袋までサービスしてもらった。場所もやや高台で風通しも良く、初秋のさわやかな風をも楽しんだ。ここを辞し、角島へとドライブ、濃紺とエメラルドの海、白い波が青空に映えて美しい。
灯台をバックに写真!安井さん、下野さんは土井が浜の古墳に行ってないと言うので、訪れる。
先祖がどこから来たのか?の人骨を基礎に解説する立体映像、人骨からの男女の判別(骨盤の開きの差より)、頭骨による年齢の判別(頭蓋の縫い目が年齢を重ねるとなくなることにより識別)と一つ、二つ賢くなった気分!感じの良い休息所で、安井さん、下野さんの準備していただいたお弁当で遅い昼食(梨が消化されず食べられないのが遅くなった原因)美味しく戴いて、岐路に着く。
厚狭に着いたのが17時ちょっと前。これでonkoさん2ヶ月あまり籠の鳥!?祈快癒!
 整体治療から帰るや否や、皆の待つ車に飛び乗ったのでカメラを忘れた!マントさんの写真が届いたら掲載しよう。

中国自然歩道ハイク下見

9月23日ハイクのチーフリーダーを命ぜられた仁保中郷から大原湖出合までの約17kmの下見に行った。同行者はこのハイクの企画者吉田健さん、次回りーだーの黒田さん、23日本番には病気入院のため参加できない安井さんの4名である。8時宇部駅アルク出発、23日本番の出発地点仁保中郷地区公会堂に9時半到着。本番ではすぐ目の前にある公園駐車場を出発点とすることにした。
 大原湖からは3名は湖右岸自然歩道を終点出合まで歩くことにした。時刻は10時43分。私は車で先回りし、入れるところまで、自然歩道を逆行して、皆さんを迎えに行くことにした。大原湖で歩き出しより6kmくらいだから、1時間ちょっとくらいで、到着するはずと計算したが、なかなかやって来ない!12時には着くはずなのにと心配になり、出合と歩道の半分近くまでを3往復して、やっと半分近くの地点で遭遇した。携帯が圏外で通信不能で、万一にも何処かにはぐれることはないはずと思いながらも、気を揉んだ。聞けば9月30日までダム堰堤の工事中で、なかなか通してもらえず、山越えしたり時間を食ったらしい。無線が必要だった!12時40分ふれあいパーク大原湖の木陰で昼食、13時15分、次回ハイクの狩野まで17kmの下見に出発。
 道を間違え、住民に聞いたり、引き返すやら、苦労したが、なんとかルートを確認することが出来た。健さんは4回分の下見を予定していたが、時間がかかり2回分で置くことにして、14時30分次回の終点狩野と山口の境、560m標高の峠を後にして岐路に着いた。17時前には宇部に帰着した。安井さんは9月12日労災病院へ入院の予定。2ケ月は必要とか。今日はいつもと変わらず、むしろマブシイくらい美しかった。完全治癒を祈る。
 途中、仁保上郷の作家嘉村磯多の実家、水車によるカラクリ人形を見る。
 
 

お盆ー孫ー嵐

          大津の孫たち親子4人、塾などで、14日帰省。15日は婚家の母親が飯塚の総合せき損センターへ入院しているので、見舞いに行き、戸畑のお墓におまいりして夕刻帰る。
 15日は、私の実家で集まり夕食が慣わしである。娘家族まで跳び入るのが恒例で、飯塚から直行してきた。本家家族4人、分家(私の弟)家族5人(三菱重工業長崎に勤める息子夫婦は、防衛庁機器の予算変更とやらで東京出張のため16日に帰省、孫2人は爺(弟)が長崎に迎えに行って来たのである)、私のところが爺婆と娘家族4人の6人、私の兄家族3人、合計18人である。本当なら長崎の甥夫婦2にがいるはずで20人が通例である。実家の姉も大変であるが、正月とお盆はこのように新藤家の一族のキズナを確認することにしているのである。そして、半年ごとに孫たちの成長変化にアレヨアレヨと驚き、改めてわれ等の老い行く姿に愕然とし、世代交代の波を肯定している行事なのである。
 16日は孫が楽しみにして帰省する「大丸行き」である。
医大に進学した孫娘は、フォーマルなワンピースと帽子から足元の靴まで、カジュアルなもの一式で数万円はヤラレタ!し、娘は、今回は亭主の分までチャッカリ選んでくれた。中学3年の男の子はカジュアルシャツ類と計画的ショッピングである。それに、いつものレストラン楓の昼食と、フトコロを気にしながらのショッピングであった。
帰りは菊川の温泉で脂汗?を洗い流して家に帰った。
 17日9時出発大津に帰る。ほっとする。

13日関門海峡花火

読売旅行主催の海峡花火ツアーに西村、安井、小沢、吉冨の4名参加。厚狭駅13時30分のバスで下関へ向かう。埴生ICから入り中国自動車道に入るところから混雑する。カモンワーフ前の木道が500円のチャリテー会場。5時前から5時入場まで、日陰で辛抱強く待つ!唐戸の町のスーパーから弁当を買い入れ、入場して一等席にゆったりと陣取り、生ビールで先ずは乾杯!弁当を食べながら待つこと2時間半。海峡を通行する豪華客船、貨物船やモンベルマーク入り貨物船、巡視船など数の多さにも感心しながら、時折、飛行機雲の尾をひく夕日にキラメくジェット機と、淡く半月の輝く空や風景を楽しむ。風はさわやかであった。
 7時55分から8時55分まで、ひっきりなしに打ちあがる花火、下関側2箇所、対岸の門司港側1箇所
から、視角130度の間を首を左右に振りながら、どちらも見逃すまいと懸命にドン、ドンという音と光を追う!さすが30万人口の町だけあって、厚狭の花火と格が違う。15000発の数と尺玉をも打ち上げる財力の違いに脱帽。そして海峡と言う地形、風景にも恵まれ、美しく技巧に精力をつぎ込んで作った花火、打ち上げのタイミングの妙とあいまって十分に堪能することが出来た。
 これまで、駐車場の困難さや暑さにわざわざと言った面倒を嫌って見ることもなかった海峡花火
見てよかった!楽しい夏の夜であった。

蛾媚山、室積キャンプ

8月6日7時公民館出発、総勢15名山口南ICから山陽自動車道にはいり、徳山東ICで降り、一路室積キャンプ場に向かう。テントの設営後、蛾媚山ハイク出発点に向かい、像は鼻散策、ここで私と黒田、岡田両氏の3名は、ハイク終点近くのフィッシングセンターに急ぐ。突端で糸を垂れるも、鯛10cmくらいが2匹釣れる程度で、なかなか15名の夕食材料にするには心細い状態であった。しかし、次第に、小鯛や小アジが釣れだす。暑い!さわやかな風に助けられ、我慢できた。それに潮の満ち口になるや、俄然小アジが糸を投げ入れるや、最後まで5mの底近くに落ちるまでに、もう食いついている状態!3時15分残念ながら4時間の入場料金の時間切れで、後ろ髪を引かれる思いで、キャンプ場に引き上げた。焼肉、魚の空揚げと温子さんの手料理で、ワイワイ楽しい夕食をとる。波打ち際で、美しい夕日の落ちる速さに驚嘆しながら、静かな海鳴り、サーチライトの灯や一番星(たぶん木星)、次第に瞬きを増す星に、それぞれの想いを託しながら、歌の数々が次々と披露される。また、ゴザにもどり、語らいながら10時にはそれぞれのテントに引きこもった。私と西村さんは夕食のゴザにそのまま眠った。涼しい夜を過ごした。
8月7日5時過ぎ起床。残りの野菜の味噌汁、アジの空揚げ、漬物で朝食。
千坊山の車で頂上付近の駐車場に上がる。歩いて15ふんもすれば、昨日歩いた蛾媚山の小さな山波、室積湾、下松の工場群と美しい風景を楽しむ。さらに、光市の三丘温泉で昨日汗にまみれた体を綺麗に流す。そこで昼食を済ませ、一路家路に着いた。楽しく、よく笑った2日間であった。